お正月2002





本年も、懲りずに宜しくお願い申し上げます。

 と言う事で、2002年が始まり、皆様いかがお過ごしでしょうか?
ここで重大発表!!
本年より、ワードの添付ファイルでの配信と致しました。 なぜ?
それは、ある一部の読者の声で、「大変読みづらい」と本人を目の前にして、堂々と言ってきた奴がいるのです。(+・+)(少し感情的!!)まーそんな世間知らずの一部の意見でも、心の広い私だから紳士に受け止め、これを機会にこのスタイルで行こうと決めました。でも、他の読者に聞いてもやっぱり、読みにくかったらしいのです。リサーチした人二人が二人とも(一人は,言いに着やがった)そうだったので今読まれている皆さんの内、大体三人くらいは、そうなのに違いない(えっ!もう一人くらい、そう思ってるって!)と思いこう致しました。今までの御苦労有難う御座います。そして皆様 m(。。)mごめんなさい。

昨年の運動会のあと音楽会があったのですが小学校のは、行ったのですが、肝心の(決して長男が嫌いと言うわけでは,ありません)幼稚園のを見逃してしまいまして、家内がデジタルカメラで取ったんですが、園児の迫力に押されデジタルなのにピンぼけなんです。
と、気を取り直して音楽会に行けなかった事で、次男の剛からオーダーが出まして、なんと、2000年に続いて今年も、「お餅つきに来てね!」でした。この時あの一年前の汗だくになったお餅つきの事が走馬灯のように記憶に蘇りました。
今年のお餅付きまで、もう十日しかないじゃないか、あの苦い苦しみは、もう味わいたくないとの思いで、2000年の餅つきの後、ひそかに開発した。餅つき養成ギブス(青い鳥幼稚園仕様)を身体に装着し何食わぬ顔で日々の営業活動に励んでいたのです。はじめの三日は、つらく朝起きるたびに肩と上腕が錆付いた機械のようにきしみ、この上ない筋肉痛が走るのです。四日目くらいから徐々に痛みが和らぎ、六日頃には、なんら支障無く過ごせるようになるのです。
そして迎えた当日、Tシャツにジーパン+フリース+ウィンドブレーカー(なんやいっぱい着とるヤンカ!)と言ういでたちで子供と一緒に登園し子供達は、教室に、私は、本日の戦場となる、運動場へ、・・・
そこは、すでにお母様がたがエプロン姿に身を包みつきあげた餅を今か今かと待ちうけている傍らで、園の男先生とバスの運転手さんで今正に突き上げ様としている所だったのです。
そんな折、廻りに目をやるともう一つの臼がなんと!準備OKそしてこの、餅つき養成ギブスで鍛えた俺を呼んでいるではないか!!傍らの先生が蒸しあがったもち米を一つまみ口に運び、その弾力を確かめるように噛み締め、次の瞬間この上ない笑みで私に答えた!!お互いが沈黙のまま極上の餅を、いや伝説の金色に光る餅を突き上げるべく杵を手に取り練り出した(はじめから、ぺったんぺったんつけないのです。)この練がつき上がりをしいては,餅の出来具合を左右するのです。杵の先に全体重を掛け臼の端から真中に練り上げて行き、偏らないようにまんべん無くするのが大切です。粒が大体潰れた所で(もうこの時点で、御幣餅くらいの状態)付き始めるのです。はじめは、優しく付いて、返し手がリズムをつかんだ所で臼の中心に向かって、振り上げた杵を万有引力の導くがままに振り下ろすのです。腰でリズムを取りながらコンマ数秒の狂いも無く杵を振り下ろすのです。臼の中のもち米が杵に打たれるたびに色を白に近づけて行きぶつぶつのにきび面の少女が艶艶のおとなの女の頬に変わっていくが如く様子を変えていくのです。この頃普通のサラリーマンであれば杵を振り下ろすにも疲れ果てて、その杵すらも持てない様になっているのが当たり前、がしかし、十日前とは,言え餅つき養成ギブスで鍛えたこの体疲れるどころか益々力が湧いて来るのです。
と、こんな具合に付き方約10名足らずで、10臼以上、付いたように思います。その内の半分とは、行かないにしても1/3以上は,私の振り下ろした杵に付かれたお餅のはずです。これもひとえに餅つき養成ギブスのおかげです。
途中で園児達が見学方々、体験に運動場にやってくるのです。お父さんが来ている子供は、お父さんの力強い餅つきの姿に「おとうさ~ん、がんばってぇ~」ってな声援をしたり、中には,どう見てもヒョロ腰で力なさそうなお父さん(是非来年は,餅つき養成ギブスで鍛えてから来ていただきたい)がいたり、休憩している時、横の園児を見ると今の子には,珍しく青っ鼻出してるゴンタそうな子供がいるので良く見ると、友人の次男坊で「おとうちゃんは,?」と聞くと「仕事」と何のジョークも無く普通の返事が返ってきました。彼(青っ鼻の次男坊の親父)は、結構まめに行事事に顔を出して、なんと私が行けなかった音楽会にもちゃっかり参観していたのです。が、!力の要るこの日に限って「仕事抜けられへんかってん」と後日、言い訳をしていました。
そんなこんなで、最後の一臼を突き上げた時には,もうお昼を廻っていました。急いで家に帰り心地良い疲労感と子供達の満足げな笑みに包まれ、久々の親父稼業をさせてもらいました。  あ~餅つき養成ギブスよありがとう。
            この物語は,1部を除いて事実に基づき構成されています。
次のページに続く
 餅つき養成ギブスについての詳しい内容お問い合わせは、ウェーブのホームページに掲載されておりますので http://www.reform-wave.co.jp へアクセスして下さい。
ここで管理者のT様から一言「ま~たそんな嘘ついて!コンニャロ!」  と言うわけで、嘘でした。(><)くぅ~餅つき養成ギブス ホシ-イ 二日体痛かったも-ん!

この年末年始は、例年の如く28日に納会で29日の晩から私一人、単身赴任宜しく三田の実家に帰り、家業(魚屋)の手伝い(配達)を31日の夜までやっていました。
子供の頃から、手伝いをしていたので特別と言う感じは,無いのですが家内に言わせると家族皆でコタツに入って紅白見ながら・・・という年越しは、無いのかなぁー ,そうなんです、結婚してから、一度も無いのです。やっぱりへんかな? が、しかし実家が魚屋と言う事で、鯛に数の子、あわび、マグロは、お正月欠かした事ありません。マグロにいたっては、スーパーなどでは,決して買うことが出来ないような、大トロ、醤油さへも弾き飛ばしてしまう、そのくせ口の中では、ほのかな甘味を残し、舌の上でとろけていく あ~なんて幸せ これぞ ハッピーツナそのもの!!食べたいだろー、そんな方は、三田0795-6*-2*4*戸田鮮魚店へ、今すぐ電話、宣伝しちゃいました。
年末の手伝いをしている時にここ数年、昔と違うなぁーと思うことがありまして、それは、寒さです!確か小学生から中学の頃は、夜の9時を過ぎた頃には、道が凍てるんですよ、アスファルトの隙間に残っている水が凍ってライトに照らされて光るんですよ、そうなったら、手袋してないと自転車なんか漕いでられないし、足の先なんか凍えて感覚も無くなって、そりゃ-すごく寒かったように思いますが、近頃は、道が凍てる事も無く年々暖かい年末年始になってるような気がします。あ~これが地球温暖化なんですかね?
今年は、焼鯛 52枚うち配達46枚 焼きいわし 84匹 等、造りに鍋用におせち用に、母親は、焼もの、兄は、捌き、私は、配達(車と自転車を使い分けて)チームプレーと言うか今年は、例年よりも少し早く片付き、実家で年越しそばを食べ、戦利品をしっかり持って神戸に帰る車の中で、2002年の新年を迎えたのでした。
帰ってから荷物を下ろし、ひとまずお風呂に入って、兄から頂いたマグロ(塊)を赤身とトロに切り分けて、とっ!その間に生貝(あわび)を大根のゆだってる鍋に入れゆがき、そうこうしていると、友人のT夫妻が訪ねてこられ、最後の配達(T夫妻より焼鯛を1枚)が完了し、折角なので戦利品のあわびとトロで新年の祝杯となったのです。
旨かった。

2日、3日と今度は、家族で実家に帰り夕食に三田牛で鉄板焼次の日は、モトクロス(10年前は、私も現役だった)の仲間と母子(モウシ)の柴田ファームでバーべキューとっても寒く途中の道は、雪が所々積もって入口の坂では、勢いをつけないと登っていかない有様。やっとの思いでたどり着いたけれどここは、兵庫のチベット無茶さむです。
子供達は、つくやいなや、先発隊が作っていた焼がにをちゃんとテーブルに座って,なんとお行儀良く「頂きます」までして食べているでは、ありませんか、すばやい!!
 私は、と言うと後輩の若い衆が進めるのを良い事に、バイクとウェアーを借りてエンデューロコースを2周ほど走らせてもらいました。が、!!ブランクは、隠せません。体と思いが一致しないのです。すっかり泥んこになって帰ってきました。その影響で、ただ今、背中が筋肉痛 あ~たった2周で情けない(tt)トホホ

 気が付けばあっという間のお休みでした、

 皆様、長々と御精読有難う御座いました。では,又次回まで
 本年も宜しくお願い申し上げます ごきげんよう

平成14年1月4日





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